1997 年 9 月 30 日 。
信越本線 横川―軽井沢区間、最後の日。
さよなら。
日本一の急勾配『碓氷峠』
2021 年。横川―軽井沢区間廃止から 23 年。
煙をあげて走る蒸気機関車が、
峠越えを支えた電気機関車が、
今日もこのまちで動いている。
「横川のまちに汽笛は鳴り止まない」
碓氷線の歴史を次の世代に伝えるために制作したショートフィルムの冒頭の原稿だ。
撮影は年末から行われ、インタビュー形式で蒸気機関車の機関士一名、電気機関車機関士三名に汽笛にどんな思い出があるか話を聞かせてもらった。
このショートフィルムは全編で30分。
鉄道の開通から廃止までの歴史を解説しながら進行していく。
ナレーションは横川がホームタウンの安中市観光大使の茂木洋晃さんが、優しくも力強く語ってくれる。
急勾配の碓氷線には、専用の補助機関車が不可欠だった。
1893年から1963年まではアプト式機関車が、
1963年以降は特殊装備を施したEF63 形電気機関車が使用された。
それら碓氷線専用の機関車を管理、整備し、乗務する機関士が所属したのが、
現在は碓氷峠鉄道文化むらが位置する横川機関区だった。
アプト式時代の碓氷線は1列車に機関車4両。機関士が4人と助士が2人。
6人が出勤から退庁までワンチームで動く。
アプト式は歯形のレールに噛み合わせる高崎駅から31kmの地点が腕の見せ所。
丸山変電所を越えて、ラックレールに噛み合わせる前には機関車のピニオンギアの回転を始める。衝撃が加わらないベストな進入速度を保ち、レールに噛み合わせると汽笛で合図をする。
気心が合わないと列車がうまく動かない、
仕事がうまく回るように仕事後はみんなで一杯交わす。家庭的な雰囲気があったという。
インタビューでは、時代の変遷、碓氷線廃止当時のこと、を続けて語ってもらった。
本で読めることじゃない、ネットで検索すればわかることじゃない、
聞かせてもらわないと知ることのできない、
このまちにある「誇るべきストーリー」がそこにはあった。
人々に残る、暮らしの記憶も、旅の思い出も、 この場所で生まれたすべてのことは、 知ってもらうことから始まる。
当時ホームビデオで撮った映像を提供してもらったものと対比するように、新たに撮影を行った。急勾配に挑んだ先人たちのようにワンチームで制作することができたのは、
歴史から教わったことの偉大さを現場で全員が肌で感じたからだ。
碓氷峠に汽笛が鳴り響いた 104 年。挑戦の歴史。
私の祖父が汗を流し、手を真っ黒にして働いて、いまでも愛する横川のまち。
『横川のまちに汽笛は鳴り止まない』
このキャッチコピーが行き止まりのレールの先を繋いでいく合言葉になり、
映像やデザインで人の力が重なりあってきている。
歯車が噛み合って進むように。
上毛新聞 視点 4月22日掲載 「峠越えの記憶を後世に」
【映像資料提供】
1997年9月29日・30日の映像
映像提供 萩原 卓也
1980年代 貨物列車が走っていた当時の映像
映像提供 金子 裕郎
1963年 横川・軽井沢間のアプト式路線で活躍するED42の8ミリ映像
映像撮影 香川昌弘 映像提供 香川不二夫
【ナレーション】
安中市観光大使 茂木洋晃
【横川のまちに汽笛は鳴り止まない・廃線ウォーク テキストデザイン】
Anoraks Design Market Taichi Furukawa | 古川太一
【企画・制作】
一般社団法人 安中市観光機構
【撮影・編集・構成】
Black Tree innovation